🎐 潯珩亂筆 153 - ✨字を書くこと

きれいな字を書く人をうらやましく思う人は多い。

毎日練習しているのに、自分ではあまり上達を感じられない人も多い。気の短い人はじっと座っていられない。一画一画ゆっくり書くことは、ほとんど苦行のように感じる。焦れば焦るほど、字は崩れていく。

だんだん分かってきたことがある。字の上手さには確かに才能も関係している。でもその才能は、手先の器用さではない。

ペンを置く前に、頭の中にすでに字の姿があるかどうかだ。

その字は、線を一つずつ組み立てて作るものではない。最初から全体の形として存在している。

重心はどこにあるのか。どの線は止めるのか、どこで払うのか。その字はまっすぐ立っているのか、それとも少し沈んでいるのか。そうした構造がすでに頭の中にある。

字が上手な人は、心の中にある字をなぞっている。

字がうまく書けない人は、書き始めるとき頭の中が空白であることが多い。構造も角度も強弱もなく、その場で組み立てているだけだ。

字の練習は、ただ繰り返し書くことよりも、字をよく見ることの方が大切かもしれない。重心を見る。余白を見る。筆画の呼吸を見る。

その構造を頭の中に刻み込む。内側にイメージができれば、手は自然についてくる。

字を書くことは、実は小さな運動でもある。

筆圧が強いときは、感情の緊張が強いこともある。 字が詰まっているときは、内側の焦りが強いかもしれない。 行間が広いときは、思考の空間が比較的安定している。

動きのリズム、圧力の配分、空間の配置、コントロール力、神経の安定度。そうしたものがすべて字の中に表れる。

そして字を書くことは視覚の訓練でもある。手の訓練というより、目の訓練だ。

子どものころ、私たちはこの能力がとても得意だった。アニメのキャラクターを見ただけで、全体を覚えてそのまま描くことができた。

大人になると規則はよく理解できるようになる。でも、全体のイメージを頭の中に刻む忍耐は少しずつ失われていく。

大人が新しいことを覚えるのが遅くなるのは、理解力の問題ではなく、その機能をあまり使わなくなるからかもしれない。

字が上手な人は、必ずしも特別に賢いわけではない。 ただ、十分な時間をかけて見てきただけだ。

字は手で作るものではない。 まず心の中でしっかり立ち、 それからゆっくり紙の上に現れる。

字がうまく書けないとき、 問題は手ではなく、 まだ心の中にその字がないだけなのかもしれない。



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