🎐 潯珩亂筆 150 - ✨誰が私たちを再生しているのか

週末、本屋で一冊の絵本に引き留められた。

それは海の貝殻を紹介する本だった。大きさも色もさまざまで、殻の縞模様は驚くほど美しい。人が設計したデザインの美しさではなく、自然が時間をかけて自分で育てたような比率の美しさだ。多くの貝殻の模様は黄金比に近い螺旋で、外側へと回転しながら広がっていく。その正確さは、偶然とは思えないほどだった。

その螺旋を見つめているうちに、ふと木の年輪を思い出した。木を切り倒すと、幹の中に同心円のような輪が現れる。あの一層一層の線は、時間の痕跡そのものだ。気候、乾燥、湿度、傷など、さまざまな出来事が木の内部に積み重なっていく。科学者は年輪を読み取り、年代や環境、時には歴史的な出来事まで推測することができる。

では貝殻の模様はどうだろう。それもまた何かの記録なのだろうか。潮の満ち引き、水温の変化、海流の向き、あるいは捕食や逃走の瞬間まで、そこに刻まれているのかもしれない。

レコードプレーヤーは、黒いレコード盤に刻まれた溝を読み取って音楽を再生する。もし理論的に可能だとしたら、木の年輪を読み取って森の物語を再生する装置があってもおかしくないのではないか。あるいは、貝殻の螺旋を読み取り、海の秘密を再生する装置も。

それは音とは限らないかもしれない。私たちがまだ解読できていない波のようなものかもしれない。私たちは「再生できるもの」は音波だけだと思いがちだ。でも世界は振動で満ちている。光も波であり、磁気も波として振る舞う。脳波も波で、重力さえ波として観測されている。

もしかすると貝殻は「聞く」ためのものではなく、「共鳴する」ためのものなのかもしれない。

それでも一番面白いのは、子どものころによくやったあの仕草だ。貝殻を耳に当てると、海の音が聞こえる気がする。後になって、それが海ではないと知る。周囲の環境音が殻の空洞の中で共鳴し、増幅されているだけなのだ。海が殻の中にあるのではなく、私たちの体の中にある。

私たちの耳の奥にある蝸牛(かぎゅう)もまた、螺旋の形をしている。頭蓋骨の中に隠れた小さな殻のような器官で、振動を神経信号へと変換している。海の外側の貝殻と、頭の中の蝸牛。一方は時間が作り出した螺旋で、もう一方は神経が育てた螺旋だ。

螺旋という形は、どうやら自然がとても好む言語らしい。指紋も螺旋、つむじも螺旋。銀河も螺旋で、台風も螺旋。DNAさえも螺旋構造だ。

もしレコードの溝が読み取れるのなら、年輪も読み取れるかもしれない。貝殻が共鳴するなら、もしかすると私たち自身も何かに読み取られているのではないか。

私たちは音楽を聴くために高価なオーディオ機器を買うけれど、毎日どこかで見えない針に読み取られている可能性については、あまり考えない。

日々の行動や選択、感情は、見えない場所に円を描くように刻まれているのかもしれない。

もっと大きな尺度で見れば、私たち自身も一枚のレコードなのだろうか。

ただ、その再生装置の音が聞こえないだけなのかもしれない。

私たちは自分が人生を生きていると思っている。けれど同時に、どこかで再生されてもいるのかもしれない。

そして本当の問いは、「誰が私たちを再生しているのか」ではなく、もしそのレコードが再生されたとき、そこに刻まれているのは雑音なのか、それとも旋律なのか、ということなのかもしれない。



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