🎐 潯珩亂筆 137 - ✨なぜ罵倒語は、外国語で語らねばならないのか

気づいてしまった。ある種の卑俗な言葉は、外国語で発しなければならないのだ。母国語では、その響きがあまりに痛すぎるから。

私は広東語が大好きだ。最初はあの「DIU」という発音の響きに完全に魅了された。あの声調は、口にするだけで実に滑らかで、通りが良い。腹の底から、正々堂々と、中気(ちゅうき)たっぷりに噴射できる。まるで『ストリートファイター』のリュウやケンが放つ「波動拳」の必殺技のように。

その後、香港出張へ行った友人が、わざわざ『広東語粗口(罵倒語)大講堂』という二冊の漫画本をお土産に買ってきてくれた。私は心底驚いた。こんなものまで、これほどロジカルに専門的な研究対象になり得るのかと。語源、由来、どこで溜めて、どこにアクセントを置くか、そのリズムの落とし所まで。

私は本を読みながら、その内容に合わせて手を叩いてリズムを取り、思わず踊り出してしまった。友人はそれを見て、この贈り物がついに最大の効用を発揮したと、満足げに微笑んでいた。

その時だ。別の言語で罵倒語を口にしても、自分自身は全く不快に感じないことに気づいたのは。むしろ、かなり面白いとさえ思える。

対照的に、現地の人は眉をひそめて言うかもしれない。「わあ、なんて下品なの」と。けれど、私の心の中でははっきりしている。それは下品さではなく、**「距離」**なのだ。

昔、会社にいた頃を思い出す。人を罵る時でさえ、エレガントでなければならなかった。「Shit」と言いたくても、口が勝手に「Shoot」へと変換される。「WTF」と言いかけても、飲み込んで「WT…」としか言えない。

なぜなら、母国語とは語彙(ごい)ではないからだ。母国語とは、**「筋肉の記憶」**なのだ。

言葉を発した瞬間、身体が先に反応する。相手もそうだ。それは直撃弾なのだ。逆に言葉を解さない人にとっては、それはただの音であり、記号に過ぎない。

鈍感なのではない。ただ、立っている場所が違うだけだ。誰もが敏感だが、そのスイッチが入るポイントが違うだけ。

母国語で罵ることは、自分自身に刃を向けること。外国語で罵ることで初めて、程よい距離を保つことができる。

言語が、私たちの痛覚の深さを決めているのだ。



—— 🎐 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 壹佰參拾柒 CXXXVII 🗣️

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