🎐 潯珩亂筆 133 - ✨自ら動き、自ら止まるということ

どの国にも独自の文化がある。掘り下げれば掘り下げるほど、中国文化の底知れぬ深さと、恐ろしいほどの魅力に気づかされる。

面白いのは、私には中国文化を知るための「正規のルート」がなかったことだ。私の中国文化への理解は、日本文化という迷路を一周して、ようやく辿り着いたものばかりだ。

日本文化には、世界を一瞬で魅了する力がある。簡潔で、抑制的で、静謐。書道、茶道、華道、禅……。しかし、突き詰めていくと、それらすべてが中国の古文化を指し示していることに気づき、奇妙な感覚に陥った。

箸(はし)一つとっても答えが隠されている。中国の箸は木や竹でできており、後ろが四角く、先が丸い。長さは七寸六分。これは「天円地方」と、人間の「七情六欲」を表している。日本の箸はナイフとフォークに近い思考だ。後ろが丸く先が鋭いのは、掴みにくいものを刺すため。韓国の箸は焼肉の熱に耐えるため金属製で、転がりにくいよう平たい。一膳の箸が、三つの文化の生き方を食卓にさらけ出している。

日本の生け花から唐代の瓶(へい)へと遡ると、花が瓶に美を与えているのか、瓶が花の魅力を引き出しているのか、分からなくなる。その絡み合いは、量子力学における「波と粒子の二重性」のようだ。

日本文化における漢字の佇まいにも、ずっと惹かれてきた。「侘び寂び、物の哀れ、生き甲斐、幽玄、余白……」。どれも陶酔を誘う。しかし最近、私はある「中国語」の語源に、徹底的に打ちのめされた。

―― 自由自在(じゆうじざい)

「由」は、車輪を意味する。 そして「在」とは、車を止める際に車輪の前後にかませる固定用の木(車止め)の名称だったのだ。

「在」とは、本来「STOP」という意味だったのだ!

つまり「自由自在」とは、ひた走ることではない。自らの意志で動き、自らの意志で止まることができることなのだ。

この発見は衝撃的だった。「自在」とはただ心地よく、縛られないことだと思い込んでいた。まさか一文字が、哲学そのものを貫通していたとは。 「忠」と「あえて(患)」という字が、どちらも「中心(中)」を語っているのと似ている。中心は一つでなければならない。二つになれば均衡が崩れ、「患(わずらい)」となる。「中」とは妥協ではない。

中庸(ちゅうよう)とは、保守的な中道ではなく、中国文化の最も深い底流なのだ。掘れば掘るほど恐ろしく、そして、ますます目が離せなくなる。



—— 🎐 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 壹佰參拾參 CXXXIII 🌪️

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