🎐 潯珩亂筆 128 - ✨「受け止められない」システムと、私たちの死角

私はよく、自分の認知を「当たり前」だと思い込んでしまう。

先日、香港の一人のご年配の方と、AIを使って教会の資料整理や日常の事務作業をいかに楽にできるかについて話した。私の世界では、それはあまりに簡単なことだ。文字を打ち込み、AIに投げ、対話する。チャットのように自然な行為。

しかし、私は決定的なことを見落としていた。香港の多くの人々は、そもそも「中国語(普通話)のタイピング」をしない。彼らが使うのは複雑な「倉頡(そうけつ)入力法」であり、出力されるのは広東語の語彙だ。その語感や語順は、AIが前提とする「標準書面中国語」のシステムとは根本的に異なる。

ましてや普通話(標準語)など論外だ。台湾式の注音や普通話の語彙を使って「AIと対話する」ことを求めるのは、学習コストの問題ではなく、システムそのものが「非対応(不適合)」なのだ。

その瞬間、気づかされた。彼らがAIについていけないのではない。私が自分の操作習慣を「誰もが使える入口」だと勘違いしていただけなのだ。

これは技術の問題ではない。認知の落差だ。

私たちは、自分が見慣れた高さから物事を見て、出発点が違うという現実を過小評価しがちだ。古いハードウェアに最新のシステムを無理やり詰め込むようなもの。それはただ遅いのではなく、システムそのものが崩壊してしまう。

多くの高齢者はQRコードが分からず、アプリも使えず、オンライン予約や支払い、書類作成に戸惑っている。彼らは進歩を拒絶しているのではない。一度も適切に「受け止められて」こなかったのだ。デジタル化が加速する時代において、テクノロジーは彼らに便利さをもたらすどころか、絶え間なく障害を生み出している。

最先端を走っているつもりの私たちは、どうマネタイズするか、どうアクセスを稼ぐか、どう速く走るかばかりに目を奪われている。だが、文明が真に前進する方法とは、門居(しきい)を高くすることではない。その門の外側に、誰が取り残されているのかを見つめることなのだ。

真のニーズは、私たちが「当然」だと思っている場所にこそ隠れている。進歩とは、機能を増やすことではない。システムに「受け止められない」人々のために、入口を再設計する意志があるかどうかなのだ。




—— 🎐 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 壹佰貳拾捌 CXXVIII 🧩

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