🎐 潯珩亂筆 127 - ✨人生の前半生と後半生:網を広げ、そして手繰り寄せる

これまでの歩みの中で、ようやく気づいたことがある。私が読んできた一冊一冊の本は、実はすべて「拡大鏡」のようなものだったのだと。

ある本を読み返した時、当時は全く気づかなかった章が突然目に飛び込んでくることがある。以前は存在しなかったわけではない。当時の私が、まだその場所まで辿り着いていなかっただけなのだ。 時には驚き、時には畏敬の念さえ抱く。たった一行の言葉が、人生のステージによって全く異なる意味を語りかけてくる。

言語とは、本来「往復」するものだ。一方的な出力ではなく、伝え手と受け手の間で絶えず「校正(アライメント)」され続けるプロセスなのだ。理解の深さが変われば、自ずと理解の幅も広がる。固定されているように見えた文字たちが、俄然(がぜん)流動し始める。

それは文字に限ったことではない。絵画の中、余白の中、構図の片隅に、かつて見落としていた重層的な意味を読み取ることがある。作品が変わったのではない。語られざる部分を見通す力が、ようやく私に備わったのだ。

はっきりと感じる。私の前半生は、ひたすら網を投げ続ける(撒網)日々だった。多くを見、遠くへ行き、手当たり次第に拾い、試し、ぶつかってきた。何一つ確かなものはなかったが、何一つ見逃したくはなかった。

そして後半生、私は同じ本と経験の海の中で、ゆっくりと網を引き揚げ(収網)始めている。かつて理解できず、覚えられず、使い道のなかった断片たちが、一つ、また一つと浮上し、自動的に整列し、互いに結びついていく。

すべての結節点は、もはやバラバラの知識ではない。層を成して積み重なる立体的な構造体だ。人生を長く歩めば歩むほど、その構造はより鮮明に、立体的になっていく。

ようやく分かった。「読み解く」とは、本を読み終えることではない。それを読み解ける場所まで、自分自身を歩ませることなのだ。

前半生は世界を「開く」ことを担い、後半生は世界を「解く」ことを担う。二つは対立するものではなく、同じ一つの網の、異なるステージに過ぎない。

そして私は今、ゆっくりとその網を収める道のりを歩んでいる。



—— 🎐 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 壹佰貳拾柒 CXXVII 🕸️

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