🎐 潯珩亂筆 113 - ✨私たちは走っているのか、それとも装備しているのか

最近のものは、本当に複雑になってきた。

友人が健康のために自転車を買った。聞けば簡単な話だ。しかし自転車屋は、自転車だけを売らなかった。ひとつの「生き方」を一式で渡してきた。

心拍計、充電器、サイクルコンピューター、ライト、サングラス、専用ウェア、パッド付きパンツ、ヘルメット、ボトル。さらにプロによるフィッティング、フレーム調整、構造理解、乗り方の理論、アプリのダウンロード、データ分析。シューズは日常用と競技用で別。ペダルも対応品に交換。自転車は気軽に乗れない。安全な場所まで運ばなければならない。

話を聞いているだけで、少しめまいがした。

私たちは自転車に乗ろうとしているのか、それとも「自転車に乗る人」になろうとしているのか。

子どもの頃は違った。ボロボロの自転車で、ベル以外のすべてが鳴っているような状態だった。データも監視もフィットもない。それでも何時間でも走れた。そしてその自転車は何十年も生き延びた。

今の装備は洗練されているが、同時に繊細で手間がかかる。まるで常に言われているようだ。「まだ足りない」「まだ準備ができていない」と。

「乗る」という行為は、いつの間にか資格になり、喜びは手順になった。

準備のコストが行動そのものを上回るとき、人は考え始める。本当に走りたいのか。それとも正しい設定を整えたいだけなのか。

何も知らなくても始められた時代が、少し懐かしい。 あの頃は、装備で自分を飾るのではなく、ただ走っていた。



—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 壹佰壹拾參 CXIII 🚲

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