🎐 潯珩亂筆 112 - ✨言語は文化の省エネモード

最近、また言語に引き込まれている。

ドイツ語には英語の “I love you” と完全に同じ感触の表現が必ずしも日常的に使われるわけではない。もちろん Ich liebe dich はあるが、実際には Ich hab dich lieb の方がよく聞かれる。「あなたを大切に思っている」という感覚に近い。爆発的な愛ではなく、持続的で、生活に溶け込んだ親密さ。最初は控えめに聞こえるが、実は非常に的確だ。

フランス語も面白い。“I am satisfied” にぴったり対応する言い方はあまりなく、よく使われるのは Je suis content. 直訳すると「満足している」だが、日本語にすると少し曖昧で、「まあ、いいかな」という余白を含む。満足を言い切らない態度そのものが、どこかフランス的でもある。

これは言語の不足ではない。文化があらかじめ思考コストを削減しているのだ。私たちが区別に苦労するニュアンスや境界は、彼らにとっては単語の中に組み込まれている。一語発した瞬間、世界の半分は既に設定済みだ。

日本語はさらに極端だ。「私」は一つではない。私、僕、俺、拙者…… 自我は固定された核ではなく、関係の中で変わる存在だ。目の前の相手によって、自己が決まる。この構造はとても深い。

イヌイットの言語には雪を細かく区別する語があると言われる。数の議論はさておき、本質はそこではない。雪は風景ではなく、生存条件なのだ。必要だからこそ精密になる。ロマンは、高度な実用の副産物だ。

そして中国語の「気」。気色、気配、気場、気急敗壊、気定神閑。それは抽象ではなく、流動する状態のようなもの。見えないが、確かに存在する。

言語は世界を説明するための道具ではない。理解の負荷を下げるための装置だ。文化の前提や経験、価値観を圧縮し、発話と同時に起動する。

だから翻訳は難しい。単語を移動させるのではなく、省エネ設計そのものを別の環境に再構築する作業だからだ。

+ ドイツ語は感情を「lieb」に収め、
+ フランス語は満足を曖昧さに残し、
+ 日本語は自己を関係に委ね、
+ イヌイットの語は雪を生死で分け、
+ 中国語は「気」に流動世界を託す。

言語は尽きない鉱脈のようだ。掘れば掘るほど、空にならない。

私たちは言語を通して、人類が世界理解の近道をどう設計したのかを覗いている。



—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 壹佰壹拾貳 CXII 🗣️

‹ 🎐 潯珩亂筆 113 - ✨私たちは走っているのか、それとも装備しているのか

🎐 潯珩亂筆 111 - ✨主人であるのに、小さく立つ ›

YouTube
X
Threads
Instagram
YouTube
X
Threads
Instagram
http://sss.com