🎐 潯珩亂筆 080 - ✨母のハンドクリーム

私は昔から、母が家事の多さをよく嘆いているのを聞いていた。  冬になると手がひび割れて、痛くて、水仕事もしづらいのだと。

だから私は、とても高価で、しかも本当によく効くハンドクリームを買ってあげた。  ところがある日、実家に帰って気づいた。  

母は一度も使っていなかった。

それでも、相変わらず文句は言っている。

どうして使わないの?と聞くと、母はこう言った。  「塗ると手が滑るでしょう。家事がやりにくくなるの。邪魔なのよ。」

私にとっては単純な話だった。  塗って、少し休んで、滑らなくなってからまた動けばいい。  でも、その考えは彼女には届かなかった。  母は、止まれないのだ。

その時ふと気づいた。  人を自分の思考回路で動かそうとすることが、どれほど滑稽かということに。人にはそれぞれの論理があり、生活の秩序がある。  人生の軌道は、誰一人として同じではない。

母の世界には、「休む」という概念が存在しない。 彼女にとって、家事は生きている証そのものだ。  家の中が完璧に整い、床や窓が光り輝いているときだけ、  家族や周囲からの称賛が返ってくる。

私の家では、いつ訪れても埃ひとつ見当たらない。  目に見えるものはすべて、きっちりと配置されている。

もしかすると、母の世界は、そうしたささやかで卑小な賞賛を待つことで成り立っているのかもしれない。  私にはほとんど価値を感じられないその言葉を、  いったい何人が、本心から、長く抱き続けているのだろう。

世の中には、そこまで清潔でなくても、  学び、遊び、旅をし、人と交わる時間を持つ人たちがいる。

でも母は違う。  年を重ねても、毎日ぎっしり詰まったスケジュールの中で生きている。  ここからあそこへ、掃除を続ける。  

省ける工程は一つもなく、怠ける余地もない。

時間は隙間なく封じられている。

だから、何か一つでもその流れを乱すものは許されない。  連続した作業計画が崩れると、  彼女のリズムは壊れ、不安と焦燥が押し寄せる。  その感情を、彼女は受け入れられない。

手が痛むことは許される。  それは慣れているし、耐えられるし、  むしろ誇りですらある。  家のために尽くしてきた証だから。

でも「止まる」ことは違う。

休むこと、楽しむことは、堕落であり、無意味で、否定されるべきもの。  生産しない人間は、役に立たない存在になる。

その時、私は理解した。  「少し止まってもいい」という感覚を、  すべての人が理解できるわけではないのだと。

母の世界では、立ち止まることは許されない。  自分を大切にすることは贅沢で、  快適さより効率が優先され、  我慢こそが美徳とされる。

そして私は、  その価値観を受け継がなかったことを、心から安堵している。

私は、そんな古い意識に縛られて生きたくない。

たぶんそれが――  私がずっと憧れてきた「自由」なのだと思う。



—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 捌拾 LXXX 🧴

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