私は記憶力がとても悪い。 だから同じ本を、何度も買ってしまう。
本屋に行くのは日常だけれど、 読むのはとても遅い。 そのせいで、 見覚えのある背表紙の前で立ち止まり、 「これ、買ったっけ?」と迷う。 そして結局、また買う。
家に帰って開いてみると—— やっぱり持っている。 しかも一度だけじゃない。
本は増え続け、 扱うこと自体が負担になっていく。
周りに、本当に読書が好きな人は少ない。 今は、五分で映画を見終え、 十秒で一つの意見を流し、Kindle の中の本はタスクのように積まれていく。 「完了」にはなるけれど、 中に入ったわけではない。
いつからか、 みんな「終わらせる」ことに急ぎすぎている。 分かったかどうか、 好きかどうか、 立ち止まって味わう価値があるかどうかは、 あまり重要じゃない。
私は時々、戸惑う。 なぜ紙の手触りを懐かしがる人がこんなにも少ないのだろう。 ページをめくる音、本の重さ、 「この本は自分のものだ」という実感。
人にあげようとしても、いらないと言われる。 寄付しようとしても、 書店や図書館は受け取らない。 理由は現実的だ。 システム、審査、登録、データベース。 面倒すぎる。 新品でも、受け取ってもらえない。
そのとき、ふと思った。 何度も買ってしまったこれらの本は、 余分なものではなく、 時代に押し出された存在なのではないかと。
本に罪はない。 ただ少し遅くて、 少し重くて、 「早く読み終え、早く流す」世界に合わなかっただけ。
それでも、本はそこにある。 静かで、厚みがあって、 あなたを急かさない。
もしかすると、 何度も出会ってしまう本があるのは、 記憶力のせいではなく、 あなたがまだ読む準備ができていないからなのかもしれない。
—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 肆拾陸 XLVI 📚