最近、少し疲れている。 体ではなく、頭が。
宗教は宗教の言い分を持ち、 科学は科学の言い分を持つ。 物理、化学、天文、地理、歴史、哲学—— どれも真剣で、 どれも自信満々だ。
まるで一頭の象を囲んで、 皆が忙しく触っているようだ。
鼻に触った人は言う。 「これは管だ。」 脚に触った人は言う。 「いや、柱だ。」 耳に触った人は言う。 「違う、大きな葉っぱだ。」
さらに面白いのは、 たまたま二人とも耳に触っていた場合だ。 目が合った瞬間、興奮する。 「ほら!理論が同じだ! 私たちは正しかった!」
そして本を書き、 講義をし、 講座を開き、 お金を取って、 まだ耳に触っていない人たちに教える。 「象とは、こういうものだ。」
誰も嘘はついていない。 ただ—— 誰も象全体を見ていないだけだ。
象は大きすぎる。 何世紀触り続けても、 全体には届かない。
たとえいつか、 すべての分野、すべての文明が触れた断片を全部並べたとしても、 全体は見えない。
なぜなら、 私たちが触っているのは平面だからだ。 平面をいくら並べても、 立体にはならない。
そう思ったとき、 私は急に、もう触らなくていい気がした。
理解を諦めたわけではない。 「自分の方が多く触ったから、 自分の方が分かっている」 その衝動を手放しただけだ。
もう急いでレベルアップしない。 急いで陣営に入らない。 急いで正誤を決めない。
それが立体であること、 その大きさ、 すべての面が本物で、 同時に不完全であることを理解する。
それで、 十分な気がしている。
—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 肆拾伍 XLV 🐘