数日前、 '東ドイツ' 出身の人に出会った。
会話の途中で、 思わずこう聞いてしまった。 「どうしてドイツ語って、あんなに硬く聞こえるの? ドイツ人って本当にそんなに頑固なの?」
彼女は一瞬きょとんとして、笑った。 「そうかな? 私たちは硬いとは思ってないけど。」
その一言の 語調、リズム、言葉選び—— すべてがとてもドイツ的だった。
怒っているわけでも、 不親切なわけでもない。 ただ、 物は物、規則は規則。 回り道はしない、 過度に飾らない直線的な感覚。 そして彼女自身は、 それにまったく無自覚だった。
彼女は続けて、 ドイツの制度について話してくれた。 たとえば、ドイツ人と結婚した場合、 申請を出すまでに10か月以上の観察期間があること。 屋根のない場所では結婚の出店ができないこと。 すべての手続きが、 整合・記録・確認を必要とすること。
その語り口はとても自然で、 「雨だから傘を持っていってね」 と言うような調子だった。
私は聞きながら、 心の中で思っていた。 これ、他の文化圏だったらとっくに嫌がられているだろうなと。
でも不思議と、 嫌悪感はなかった。 むしろ、理解できた。 彼らはロマンがないのではなく、 ロマンより先に安心を置いているのだ。
最近 'ボンダイ・ビーチ'で起きた銃撃事件を思い出し、 少し胸が沈んだ。 時に問題は、 「受け入れるかどうか」ではなく、 「引き受けられるかどうか」なのだ。
清水に清水を一滴足しても、 世界は変わらない。 でも汚水を一滴落とせば、 全体を清いとは言えなくなる。
善悪の話ではない。 優劣の話でもない。 社会にはそれぞれ、 耐えられる濃度がある。
言語も同じだ。
ドイツ語の硬さは、 制度・責任・境界に長く晒されて生まれた味なのだ。
彼女は自分を硬いと思っていない。 それは、 私たちが自分たちを「自由すぎる」と思っていないのと同じ。
言葉はただ、 文明全体の癖を言葉の隙間に忍ばせ、 誰かが聞いた瞬間、 ふっと匂わせるだけなのだ。
—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 肆拾肆 XLIV 🗣️