🎐 潯珩亂筆 021 - ✨私たちは歯を治しているのか、それとも「基準」を直しているのか

私は人生で二度、歯列矯正をした。

一度目は、若くて何も考えていなかったから。  二度目は、最初の矯正が終わったあとリテーナーをつけなかったせいで、  歯が少しずつ元の位置に戻っていったから。

まるで歯が言っているみたいだった。  「無理やり動かしても、  私は帰る場所に戻る。」

歯列矯正は、想像以上につらい。  痛いのは歯じゃない。  「良くなる前に、確実に見た目が悪くなる」 その時間だ。

自分で選んだはずなのに、  毎日鏡には “工事中”の顔が映る。 予約は長く待たされ、  診察はほんの数分。何を聞いても、  返ってくる答えは同じ。  「問題ありません。」 でも、心の中はまったく問題だらけだ。

歯茎が永久に傷つかないか。  ゴムが歯を変な方向に引っ張っていないか。  本来のカーブが、  無機質な平行線になってしまわないか。

毎回の調整は、  終わりの見えない未知への入口だった。 結局、怖かった理由はひとつ。  自分でコントロールできないから。

身体が制御できなくなると、  恐怖は暗闇の中で簡単に増殖する。

ある日、ふと思った。  人は本当に、歯を矯正する必要があるのだろうか。

「整っている=美しい」と思っているけれど、  それは名前をつけられ、  繰り返されただけの美意識かもしれない。

鋭い犬歯は肉食動物の証。  平らで揃った前歯は草食動物の特徴。  不揃いな歯並びは、  雑食という進化の名残かもしれない。

どの形にも、  遺伝の物語がある。

それをすべて「修正」したあと、 私たちはまだ自分なのだろうか。

医学的に整えられ、  個性の消えた歯のアーチは、  本当に元の姿より美しいのか。

それとも私たちは、  自分の肉体を世界共通のテンプレートに合わせているだけなのか。

美容医療は顔を均一にし、  矯正は歯を均一にする。  世界は少しずつ、  同じきれいな見本へと整えられていく。

でも、生まれたときに選んだこの身体は、  最初から「個性とズレを含んだ物語」だったはずだ。

それをお金と痛みで削り落とすことは、  魂が最初に選んだ形への静かな皮肉なのかもしれない。



—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 貳拾壹 XXI 🦷

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