🎐 潯珩亂筆 013 - ✨誰が誰に寄生しているのか

今週の休み、私はいくつものビーチを巡りながら、  牡蠣を食べ、太陽を浴びていた。

でも不思議なことに、  牡蠣を一つ開けるたび、頭にふっと浮かぶ。  「中に寄生虫がいたらどうしよう?」  まるで映画のスローモーションみたいに。

海風が吹き、  半分の殻を手に持ったまま、  さらに奇妙な考えが浮かんだ。  もしかして、寄生されているのは私たちの方なのでは?

海鮮ではなく、  習慣に。  感情に。  そして、目に見えない「古い自分」に。

もし意識が砂浜だとしたら、  寄生虫は砂に埋もれた小さな黒い点のようなもの。  気づかずに歩けば、足いっぱいについてしまう。

でも本当に私たちを操っているのは、  生き物ではない。  頭の中で何度も再生され、  一度も点検されていない思考や感情、癖だ。

牡蠣は私を支配できない。  でも「自分だと思い込んでいる自分」は、できてしまう。

ふと、馬鹿馬鹿しくて面白い問いが浮かんだ。  もし私たちが寄生されているなら、  私たちは誰に寄生しているのだろう?

波の音を聞きながら砂浜に座っていると、  一つの考えに行き着いた。  たぶん私たちが寄生しているのは、「人生の脚本」そのものだ。

ある役割に長く住みすぎて、  それが初期設定だと勘違いしてしまう。  主人公の光輪が本当に頭に固定されていると思い込む。

でもその役は、借り物にすぎない。

ミトコンドリアが細胞に住み、  言語が脳に住み、  記憶が意識に住むように。

宇宙では、すべてが互いに借り合っている。  完全な宿主もいなければ、  完全な支配者もいない。

最後の牡蠣を食べ終えたとき、  寄生はホラーではないと思えた。  それは、少しロマンチックな共存の形だ。

私たちは他人の物語から経験を借り、  他人は私たちの人生から光を少し借りる。  それらが混ざり合って、  今日の「私」になる。

立ち上がって砂を払った瞬間、  心がふっと軽くなった。

生きるとは、  互いに借り合う長い休暇なのかもしれない。



—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 拾參 XIII 🦪

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