🎐 潯珩亂筆 005 - ✨山はやはり山だった

わかったつもりになるたびに、  「手放す」「空になる」「内側を見る」  そんな言葉を口にしては、  あとから気づく。  本当の理解には、まだ果てしない距離があるのだと。

かつての私は、言葉で自分を区切ることに必死だった。  どこを手放すべきか、  どこから距離を取るべきか、  何が執着で、何が幻想なのか。  概念を揃えれば、世界も澄む気がしていた。

けれど後になってわかった。  本当の「非執着」とは、  何を手放すかを知ることではなく、  「私は今、手放している」と自分に言い聞かせる必要すらなくなることだ。

多くの言葉は、最初は答えのように聞こえる。  でも実際には、それはただの入場券だった。  本当の道は、自分自身で一歩ずつ歩くしかない。

山は山、水は水。  それは何も理解していないからではなく、  もう「理解している」と証明しようとしなくなったからだ。

遠回りした道も、  何度も引き返した場所も、  越えたと思って戻ってきた関門も、  どれも間違いではなかった。  それらは静かに、  「知っている」を「在り方」へと磨き続けてくれていただけだ。

ある日、気づいた。  もう自分がどの段階にいるのか説明する必要も、  状態に名前をつける焦りもなくなっていた。

山は山のまま。  水は水のまま。  私はただ、そこに立っている。  多すぎず、少なすぎず、ちょうどよく。

最もシンプルな真理ほど、  無数の山河を越えて初めて理解できる。  複雑さを通らなければ、  本当のシンプルさには辿り着けない。



—— 潯珩亂筆 | XC Scribbles · 伍 V ⛰️

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